大判例

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東京高等裁判所 平成3年(ネ)746号 判決 1992年8月26日

控訴人(被告)

菊池利光

ほか一名

被控訴人(原告)

矢島八重子

ほか一名

主文

原判決を次のとおり変更する。

一  控訴人らは、連帯して、被控訴人ら各自に対し、各金一八一万七六八五円及びこれに対する昭和五八年八月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被控訴人らのその余の各請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は第一、二審を通じこれを一〇分し、その一を控訴人らの、その余を被控訴人らの各負担とする。

四  この判決は第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人ら

1  原判決中、控訴人ら敗訴部分を取り消す。

2  被控訴人らの各請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

二  被控訴人ら

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人らの負担とする。

第二当事者の主張及び証拠関係

一  当事者の主張

次に付加するほかは、原判決の事実摘示(第二 事案の概要)のとおりであるからこれを引用する。

1  控訴人らの追加的主張

(一) 本件交通事故と被控訴人亡矢島安夫(以下「安夫」という。)の視力低下との間には相当因果関係がない。

(1) 当審における鑑定の結論及び乙一四によれば、本件交通事故も安夫の白内障発生の原因の一つの候補として含まれるとされているが、鑑定の結論は、白内障、その原因となつた虹彩炎の原因は不明確であるとしており、本件交通事故と安夫の視力低下との間に因果関係がないことは明らかである。

(2) 安夫が眼科を受診したのは、本件交通事故の発生から一年二月余り経過した昭和五九年一〇月二五日であり、この間のカルテや診断書には眼の具合が悪いことを示す記録は全く残されていない。

(3) また、昭和六二年一〇月一二日のポラロイド眼底写真による限り眼底には外傷によると考えられる変化はないのであり、安夫の虹彩炎が外傷によるものでないことは明らかである。虹彩炎の原因としては多くの臨床統計上原因不明が約半数存在することは鑑定及び乙八の指摘するところであり、安夫の虹彩炎も原因不明というほかない。

(4) 次に、白内障手術後の視力低下が本件交通事故と無関係であることは鑑定書及び乙一四が明確に指摘するとおりである。

(5) 以上のとおり、本件交通事故と安夫の視力低下との間に因果関係があるとの被控訴人らの主張は、医学的見地からは肯認し得ないものである。

(二) 仮に、安夫の視力低下が本件交通事故に起因するとしても、安夫は、平成三年一二月一二日、本件交通事故と因果関係のない脳腫瘍によつて死亡したから、安夫の逸失利益を算定するに当たつては、その就労可能期間は同人の死亡時までとすべきであり、後遺症による慰謝料も死亡時までとされるべきである。

2  被控訴人らの反論及び追加的主張

(一) 亡安夫の視力低下の原因は本件交通事故によるものであることが明白である。

亡安夫は、本件交通事故により運転席の背もたれにぶつかり、両眼を強打し、このため本件交通事故直後から極端な視力低下に陥つたものである。

仮に、安夫自身に何らかの視力低下の要因が存していたとしても、視力低下が本件事故直後に発生したことを考えれば、本件交通事故がその誘因になつたことは明らかであり、他の内部的な要因と輻輳して視力低下をもたらした蓋然性は極めて高い。

(二) 亡安夫の死亡による被控訴人らによる損害賠償債権の相続

安夫は、平成三年一二月一二日死亡し、安夫の妻及び長男である被控訴人両名が安夫の損害賠償債権をそれぞれ二分の一ずつの割合で相続により取得した。

二  証拠関係

本件記録中の証拠関係目録の記載を引用する。

理由

一  安夫が本件交通事故により頸部捻挫の傷害を負つたことは、当事者間に争いがない。

成立に争いがない甲四、五、七、八、二九によれば、安夫は、頸部捻挫により昭和五八年八月一七日から昭和五九年五月一〇日までの間通院治療を受け(実治療日数は六六日)、同日症状が固定した。安夫は、症状固定後も、両上肢のしびれと頸部痛を訴え、昭和五九年五月一七日から同年八月一八日までの間更に通院治療を受けた(実治療日数は八日)が、他覚症状はなかつた。この間の自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書には眼球の障害に関する記載は一切ない。

二  成立に争いのない甲一〇、一二、二一、二三、二五、二八、三一、証人矢島八重子の証言(第二回)及びこれにより真正に成立したと認める甲三二、三三の各一、二、三五、証人岡安成尚、同清水庸夫の各証言を総合すれば、次の事実が認められる。

1  安夫の本件交通事故直前の視力は明らかでない。本件交通事故の五、六年前に眼鏡を作つた時の矯正視力は両眼とも約一・〇であつた。

本件交通事故直後のものとしては事故後一週間の昭和五八年八月二三日の検眼資料(甲三二の二)が存するが、これによれば、左眼は〇・三、右眼はぼやけてしまうということで視力が出なかつた。

2  安夫は、本件交通事故の翌日である昭和五八年八月一七日、埼玉慈恵病院で診察を受けたが、眼について治療がなされたことを示す記録はなく、本件交通事故から一年二月余りを経過した昭和五九年一〇月二五日に至つて初めて、自動車運転中急に視力が落ちたということで、熊谷総合病院の眼科を受診し、虹彩炎の合併症としての両併発白内障との診断を受けた。この時の矯正視力は、右眼〇・〇二、左眼〇・二であつた。

3  安夫は、昭和五九年一二月一八日、脳腫瘍の疑いで関東脳神経外科病院に第一回目の入院をし、同月二一日腫瘍の摘出手術を受け、昭和六〇年二月七日退院したが、その後も、昭和六〇年六月二四日から七月一三日まで、昭和六二年五月三〇日から六月三日まで入退院を繰り返した。

4  安夫の昭和六〇年二月一九日(白内障の手術前)の矯正視力は、右眼〇・〇一、左眼〇・〇四であつた。安夫は、昭和六〇年七月一五日、熊谷総合病院に白内障の手術のため入院し、同月一八日右眼の、同月二五日左眼の各手術を受け、同年八月三日退院した。手術後の矯正視力は、同月九日現在右眼〇・一、左眼〇・二、同年一一月一日現在右眼〇・一、左眼〇・三であつた。

5  手術後の所見としては、カルテの昭和六〇年九月三日の欄に右眼視神経乳頭萎縮との記載が、同年一一月二九日の欄に同日現在の矯正視力右眼〇・一、左眼〇・三、高度近視による変性もあり、視力回復の予後は不良と思われるとの記載がそれぞれなされている。

安夫の昭和六二年五月二二日現在の矯正視力は右眼〇・〇五、左眼〇・二であり、同年九月一四日現在のそれは右眼〇・〇五、左眼〇・一と再び低下し、同日欄のカルテには両眼の視神経萎縮の記載が見られ、再度の視力低下の原因はこれに求められている。

6  安夫の本件交通事故前の糖尿病の状態は不明である。

本件交通事故後約一年四月経過した昭和五九年一二月二四日の血糖検査によれば正常範囲内であり、昭和六〇年一月一六日の検尿でも異常なしとされていたが、同年六月二九日の血糖検査において糖尿病を強く疑わせる検査値が見られ、同年七月一日糖尿病との確定診断を受けたが、その程度は虹彩炎を惹起させる程のものとは認められない。

三  以上の事実関係の下で、安夫の視力低下が本件交通事故に起因するものと認められるか否かについて判断する。

鑑定の結果及び成立に争いのない甲三〇、乙三、一四、弁論の全趣旨により真正に成立したと認める乙七、八、証人岡安成尚及び同清水庸夫の各証言を総合すれば、

1  先ず、安夫の前記白内障手術後の視力低下の原因は両眼の視神経萎縮によるものと認められ、その原因は本件交通事故とは無関係な脳腫瘍(病理検査の結果は脳梗塞のようなもの)によるものと推認されること

2  安夫の白内障手術前の視力低下の原因は白内障と他原因との複合によるものと考えられ、白内障の原因は虹彩炎と認められる。

3  ところで、虹彩炎の原因としては、外傷によるもの、糖尿病によるもののほか約半数が原因不明とされている。

本件においては、糖尿病による可能性は前記認定のとおり少いと認められるので、外傷によるものかそれとも原因不明かが問題となる。

4  そして、証人矢島八重子の証言及びこれにより真正に成立したと認める甲三五、前掲甲二八の看護記録中には、安夫は本件交通事故により運転席の背もたれに眼部を打撲し、その後目の充血が二か月続いたとの記載があり、冒頭認定事実によれば、安夫の本件交通事故直後の視力はそれ以前と比べて相当低下していたことが窺えるから、安夫の虹彩炎は外傷による罹患の可能性を否定することはできない。

5  しかしながら、一方、昭和六二年一〇月一二日のポラロイド眼底写真による限り外傷によるものと考えられる病的変化が認められないこと、しかるに、外傷性の虹彩炎は外傷直後に発症し、白内障を併発する虹彩炎は程度も重く、期間も長期に及ぶため、医師の診察を受けるのが普通であるところ、安夫の場合は本件交通事故発生時から昭和五九年一〇月二五日に至るまでの約一年二月間、眼の診察治療を受けた形跡がなく、後遺障害診断書にもその旨の記載が全くないことに加え、安夫の本件交通事故直前の視力が不明であること、さらに、同人は本件交通事故後の昭和五八年九月頃夜トイレで二回倒れている事実等からすると、本件交通事故による受傷の時点で既に何らかの頭蓋内疾患が存在していた可能性が十分考えられる。

6  以上認定にかかる諸事情を総合すると、安夫の虹彩炎が本件交通事故に起因する外傷性のものと認めるにはちゆうちよを感じざるを得ず、他にこれを肯認するに足りる的確な証拠はない。

四  そうすると、本件交通事故と因果関係のある受傷は頸部捻挫のみということになるから、以下これを前提として安夫の損害額を算定する。

1  休業損害

その期間は本件交通事故の翌日である昭和五八年八月一七日から症状固定に至る昭和五九年五月一〇日までの二六八日間とし、収入額としては昭和五八年度賃金センサス第一巻第一表一般労働者産業計・企業規模計・学歴計平均給与額三九二万三三〇〇円を用いる。

392万3300円÷365×268≒288万0670円

よつて、安夫の休業損害は二八八万〇六七〇円である。

2  慰謝料

前記認定の通院期間や後遺障害として両上肢のしびれ等を訴えていることその他諸般の事情を考慮し、五〇万円をもつて相当と認める。なお、後遺障害については慰謝料額を算定するに当たり、これを斟酌するにとどめ、後遺症としては認定しない。

以上から損害の填補額九万五三〇〇円を控除すると被控訴人らが安夫に対し賠償すべき金額は三二八万五三七〇円となる。

本件交通事故と相当因果関係のある弁護士費用の額は三五万円と認める。

以上、安夫の請求は三六三万五三七〇円及びこれに対する昭和五八年八月一七日から支払済みまで年五分の割合による支払を求める限度で理由があり、被控訴人らはそれぞれ右の半額を相続により取得したものというべきである。

五  よつて、これと異なる原判決を変更し、訴訟費用の負担について民訴法九六条、九二条、八九条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山下薫 高柳輝雄 豊田建夫)

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